同じ構造の部屋が連なる展示会場の一部屋の床を数センチ高く上げたこの作品は、一種の身体的な違和感を作り出しています。それらは床の軋みや新しい木材の香り、ドアノブの位置や天井の高さ、カーテンの丈などに現れました。この床の上に人が立つという行為は自分が思っているほど能動的なことではないのかもしれません。床が少し高い、それだけのことで変わってしまう程には日常の状態に慣れているのです。その状態を作っているのも人であり、自分はそこに立っている。それは誤差のような差異によって緩やかに崩されてしまう。強固に信じているものも、あっさりと緩やかに崩れてしまうものかもしれません。
Raising the floor of one of the rooms in the exhibition hall, which has the same structure, by a few centimetres, this work creates a kind of physical discomfort. They appeared in the creak of the floor, the scent of new wood, the position of the doorknob, the height of the ceiling, the length of the curtains, and so on. The act of standing on the floor may not be as active as you think. It is people who create that state, and I am standing there. It is gently broken down by differences like errors. What you firmly believe in may crumble easily and slowly.
卒業制作展で片山初音は白澤はるか*と2人で1つの展示場所をシェアしていた。しかしその会場に入ると目の前にあるのは白澤の作品だけであり、鑑賞すべき片山の作品は存在してはいなかった。何故なら彼女は、いつもはアトリエとして使用する展示会場の床を、数センチ高く底上げするということを作品としたからである。
私たちは普段、自分の意思で価値を決定しているように思える。しかし彼女はそこに疑問を投げかけた。本当に私たちは自身の意思によって価値をかたちづくり、物事を判断しているのだろうか。実際は、その場の雰囲気や状況によって価値観は揺らぎ受動的になってはいまいか。彼女がさりげなく少しだけ上げた床は同型の隣あう展示空間とは明らかに空気の流れが異なっていた。それは作品を鑑賞するということは単に視覚的なことではなく、身体全体の感覚によってもたらされることである、ということを静かに物語っていた。
*少なからず白澤はるかが片山の意図を深く理解し、自身の作品を制作したことは、今回の片山作品の魅力を助長させたことを、ここに記して置きたい。
油絵学科教授 丸山直文
武蔵野美術大学美術館 美術館・図書館
Musashino Art University M&L
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